中国・北京の大気汚染についての記事です。PM2.5やオゾンの指数と健康への影響。アメリカ大使館(朝陽区)の大気汚染観測モニターの測定・公表データなど。
北京の空
2020年代半ばの現在、報道や現地の記録によれば、北京の空はかつてのように濁ってはいないという。晴れた日には群青の空が広がり、かつて天安門広場を覆っていた灰色のもやは消えたと伝えられている。だが、その変化の裏には長い試行錯誤と痛みがあった。2010年代後半、中国は「青空防衛戦」と呼ばれる大規模な環境政策を打ち出し、石炭依存から天然ガスへの転換という大きな構造変化に踏み切った。
2017年――「青空防衛戦」と引き換えの寒さ
2017年末、北京では連日のように青空が広がったと報じられた。長年、深刻な大気汚染に悩まされてきた都市にとって、それは象徴的な出来事だった。政府は「青空防衛戦」を掲げ、石炭の使用を厳しく制限し、家庭用暖房を天然ガスへと切り替える政策を徹底した。
しかし急速なエネルギー転換は混乱を招いた。天然ガスの供給が追いつかず、暖房を使えない家庭が各地で発生し、寒さに苦しむ市民の声が相次いだ。郊外の馬坊村では「石炭持ち込み禁止」の標語が掲げられ、ガス配管が届かない家庭でも石炭の使用が禁じられた。現地報道によると、やむなく石炭をこっそり燃やす住民もいたという。
環境保護省によれば、PM2.5の平均濃度は前年同月比で54%も低下し、対策の効果は顕著だった。一方で、暖房不足から小学校で屋外授業を行う事例もあり、混乱が続いた。さらに、天然ガス不足は工場の操業にも影響を及ぼし、大連では日本企業を含む複数の製造業が操業制限を求められたと報じられている。
それでも中国政府は、温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」を批准した国として脱石炭政策を推進した。アラスカやロシアのLNG開発への投資を進め、世界市場での天然ガス調達を強化。このエネルギー転換期の混乱こそが、のちに北京が青空を取り戻す基盤になったとされている。
2016年――白濁する都市、かすむ天安門
わずか一年前、2016年冬の北京は全く異なる光景だった。報道によれば、その日の朝には50メートル先の建物すら霞み、街全体が白いスモッグに覆われていたという。PM2.5の数値は1立方メートルあたり1000マイクログラムを超え、天安門の毛沢東肖像や人民大会堂が見えなくなるほどだった。学校は休校、企業も臨時休業を余儀なくされた。
そのわずか二カ月前には、抗日戦争勝利記念の軍事パレードが真っ青な空の下で行われたが、それは工場閉鎖や車両規制など強制的措置によって実現した一時的な青空にすぎなかった。再び襲いかかる濃霧のような汚染の中で、市民は「今日は100マイクログラムならまずまず」「200でもまだ大丈夫」と言い合うほど、感覚が麻痺していたと伝えられる。
当時の中国メディアや研究者の報告によれば、空気清浄機の需要は急増し、都市生活者は日常的にマスクを着用していた。2016年春には、中国能源研究所の所長が来日し、大気汚染対策への国際的支援を訴えたことも報じられている。もはや国内だけでは解決困難な危機に達していた時期だった。
2016年初頭――教育現場を直撃した汚染
さらにさかのぼる2016年1月、北京市教育委員会は深刻な大気汚染に対応するため、小中高校の冬休み延長を決定した。72時間以上汚染が続くと「赤色警報」が発令され、車両通行規制や休校措置が取られる仕組みだったが、頻発する警報は教育現場に大きな影響を与えていた。
共働き家庭が多い都市では、休校のたびに親が仕事を休まざるを得ず、社会的負担が増大。教育当局は、休校分を週末授業で補う柔軟な運用を認め、冬休み延長と夏休み短縮という異例の措置を導入したとされる。子どもたちの生活までもが、大気汚染の影響を免れなかった。